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滝田山岳会_奥穂高岳編

2019-07-18
皆さん、こんにちは。
滝田山岳部から今年2回目の山行レポートを送ります。
 
滝田山岳部では北アルプスを中心に山行をしていますが、
昨年の海の日に登った槍ヶ岳(3,180m)から見た穂高連峰の雄姿に感銘を受け、
今年は穂高連峰の主峰で国内第3位の高峰である奥穂高岳(3,190m)へ2泊3日の行程で挑みました。

7月13日に会社を朝5時に出発して、沢渡駐車場から上高地へ入りました。
河童橋で記念撮影をしてから、梓川沿いの林道を10km歩き、
明神、徳沢を経て、横尾へ12時半に到着しました。
上高地から横尾の間には観光客が多く、賑わっていました。
林道にはニホンザルもいて、観光客を楽しませていました。
 
 
横尾大橋を渡り、いよいよ登山開始です。
本谷橋までは緩やかな傾斜でしたが、過ぎると急登になり、
「休むな!落石注意!」の看板があるガレ場やS字カーブのガレ場“Sガレ”を通り、
標高もあいまって、息も切れ切れ登って行き、涸沢へ16時に到着しました。
涸沢カールにはまだ雪が多く残っており、緑と白を仰ぎ見る穂高連峰は圧巻でした。
この日宿泊する涸沢小屋へは16時半に到着し、1日目の無事を喜び合いました。
涸沢小屋はこじんまりした山小屋ですが、
スタッフの皆さんが明るく親切で、気持ちのいい時間を過ごすことができました。

2日目はいよいよ奥穂高岳登頂の計画ですが、
前夜から雨音が強くなり、本当に登れるのか心配でした。
出発予定を1時間遅らせて、待つこと朝7時、幸いにも雨が上がったので、
先ずは穂高岳山荘まで行こうと、出発を決めました。
ガレ場、雪渓をトラバースして、いよいよ岩尾根のザイテングラートに取り付きます。
ザイテングラートはハシゴとクサリが連続する岩の難所で緊張の連続でした。
岩稜と格闘をして1時間半で穂高岳山荘に到着です。
ここまで来たら登頂しない選択はないと決心して、小雨の中、出発を決めました。

山荘を出発するとすぐに急なハシゴとクサリがまたもや続き、
つま先しかかけられない狭い足場があり、クサリを頼りに登ることしか出来ず、恐怖感が増します。
岩場を登って約45分で念願の奥穂高岳山頂に登頂しました。
山頂には穂高神社の山宮とこの山域の開拓者である今田重太郎氏が積み上げたケルンがあり、
無事に登頂出来たことを詣り、記念写真を撮りました。
残念ながら山頂は白い霧で覆われており、眺望はなく、
奥穂高岳の山頂から見る槍ヶ岳の尖鋒を期待していましたが残念でした。
これから穂高岳山荘まで戻り、お昼を食べて涸沢へ戻ります。
この下りは雨もあり、登る以上に神経を使わないといけません。
それでも筆者は、左足を踏み外し1回転してあやうく転落しそうになってしまいました。
幸いに打ち身くらいでキズひとつなく済んだのは、
背中から転んだためザックがクッション代わりになったこと、
ヘルメットのおかげで頭を打たなかったこと、落ちた場所が小さな平場であったこと、
先行者が受け止めてくれたこと等が幸いしたと思っています。
ヘルメットの大切さ、仲間の大切さを感じた瞬間でした。
その後はより慎重に涸沢まで下り、15時に涸沢小屋に到着しました。
この日の乾杯が格別だったことは言うまでもありません。

最終日はいよいよ下界へ戻ります。
涸沢小屋から涸沢ヒュッテ経由で涸沢カールに別れを告げましたが、
最終日にようやく太陽が現れて穂高連峰が青空をバックに雄姿を見せてくれました。
「涸沢の紅葉を見ずして穂高を語ることなかれ」と言いますが、
また秋の涸沢に戻って来たいと思いました。
その後は無事に来た道を戻り、横尾から上高地へ帰ってきました。
その日会社に着いたのは夕方18時でした。
山はどんなに遠くても、あきらめず一歩一歩歩いて行けば、
いつかはたどり着くことができると感じた山行でした。
株式会社 滝田
〒943-0121
新潟県上越市大字藤塚411番地1
TEL.025-523-2881
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